旦那が脊髄腫瘍になりまして。

旦那が脊髄腫瘍になりまして。

2016年、旦那に脊髄髄内腫瘍が見つかりました。闘病記をつらつらと。

ヨメ、自律神経失調症になる

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ヨメはツレの告知を受ける前から、顧客のクレームや業務量の超過といった職場のストレスにやられていた。

以前からあった不眠症がまずます酷くなり夜は全く眠れず、

躁状態からなのか、ポケモンGoにドはまりして夜な夜な東京の街へ出かけたりしていた。

 

ツレの告知を受けたことで、将来への備えがあまりにもなさ過ぎた私(たち)は、

もろもろの不安に押しつぶされ、知らないうちにストレスが限界値を突破してしまっていた。

 

ストレスでおかしくなった私は、毎日が悲しくて悲しくてたまらなくなった。

仕事で少しでもうまくいかないことがあると涙が止まらない。

涙が止まるまで職場を抜け出し、トイレに引き籠るようになった。

時には2時間籠る日もあった。

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もう限界だった。

 

自分は鬱病なのでは?

そう思い、診療内科を受診した。

もともと、喘息で通っていたかかりつけ医が心療内科医であり、症状を相談した。

 

まず、チェックリストをもとにストレスチェックが行われた。

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いつもイライラしている?

イライラしやすい?

将来に希望がもてますか?

そんなチェックだった気がします。

 

このチェックで私はほど満点をとり、「自律神経失調症」と診断された。

もらった診断書には、「一か月程度の療養を要す」と書かれていた。

 

その翌日もバタバタと忙しく上司に相談する時間がなかったヨメ。

午後になり、打ち合わせ中に涙が止まらなくなってしまった。

私は、会議室を飛び出した。

 

しばらくトイレに籠って泣き続けた。

ポケットから鳴り響く会社用のケータイ。

上司が心配して私のことを探してくれていた。

 

急遽上司と面談する時間をもらい、やっと診断書を差し出すことができた。

 

ヨメは、翌日から休職することになった。

仕事はすべて、やり残したままだった。

 

こうしてツレとヨメは二人とも病人になったのだった。

病院・医院の建物イラスト(医療)

ヨメは、休職後3ヶ月間程は精神的に不安定だったが、

薬や時間、読んだ本やツレが癒やしてくれた。

 

ツレの手術が近くなってくると介助に専念できるくらいに回復してきた。

手術までの待ち時間はもどかしかったものの、入院の日が近づいてきた。

 

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